正木浩一句集『槇』(ふらんす堂)
『槇』は、正木浩一氏の第一句集。1989年9月、ふらんす堂発行。
どうしても読みたくて図書館で取り寄せて貰ったりしたこともあったのだけど、その後たまたま入手することが出来た。
能村登四郎氏による序文に〈人の世の縁というものはちょっとしたきっかけであってもその絆は長い。その絆は大切にしたいと思っている。〉とあって、愛があるなと思った。
すれ違ふべき炎天の人遥か
海に降る雪を想へり眠るため
かの馬鹿のうはさも絶えて豊の秋
まぶしくて目のあけられぬ蕗のたう
首のべて喉剃る鶴の来べきころ
芹といふことばのすでにうすみどり
春星や近ければ母おろそかに
飯田晴『たんぽぽ生活』(木の山文庫)
『たんぽぽ生活』は、飯田晴さんの第二句集。2010年8月、木の山文庫発行。
平易な言葉ながら日常を異化するような句の組み立て方がされている。とても惹かれる句が多くあった。
つまみたる山を春野に下ろしけり
句集の冒頭の一句である。まるで一人称のように書かれているが、春の野に山をつまむぐらいの大きな指を幻視したのだろう。明るく魔術的な句だと思った。
月光の机は揺れてゐたりけり
「月光の机」とは、月光が当たっている机の省略表現だろう。机の表面に揺らめく月の光が、机そのものの揺れのように感じられる。シンプルな表現ながら、印象深い句であった。
あたたかや歩けば歩くほど山へ
魚屋の刺身のとどく祭かな
草よりも樹木のにほひ熱帯夜
テレビよりあふるる光ちちろ虫
関東の土を這ひたる寒さかな
島田刀根夫『玄冬』(邑書林)
『玄冬』は、島田刀根夫さんの第二句集。1997年11月、邑書林発行。
あとがきによると、第一句集の『白秋』以後の17年間の句をまとめた句集で、第一部と第二部に分かれているのだけれども、第一部は波多野爽波が亡くなる前まで選を受けられていた時代の作品らしい。
秋山を神輿が降りてくるところ
「~ところ」といえば、波多野爽波の〈鳥の巣に鳥が入つてゆくところ〉がまず思い浮かぶ。掲句は秋祭だろうか。大勢が神輿を担ぎ、山の坂道を慎重に下っていく様子を、「秋山」と「神輿」のみの描写で単純化している。
觀潮後ベツドがふたつある部屋に
波多野爽波に〈墓参より戻りてそれぞれの部屋に〉という句がある。「部屋に」が共通しているが、爽波の句は日本家屋のようで、掲句はホテルの一室に一人で戻ってきたような印象があった。
蘖や徑は池へとくづれ落ち
辭書を見に次の閒へゆく栗の花
崩れ簗から道へ出て明るさよ
お涅槃の犬を洗つてやることに
讀む仕事書く仕事蟲名殘かな
飯田龍太『童眸』
『童眸』は、飯田龍太の第二句集。
昭和29年から昭和33年までの五年間の句をまとめた句集だが、482句収録されていて結構なボリュームがある。
大寒の一戸もかくれなき故郷
句集の巻頭の一句である。故郷の土地を一望できる場所から眺めているのだろう。「大寒」という季語に視点人物の心理を結びつけるのは安易な読みだと思う。外に人の姿もなく静まりかえった景が眼前に広がっている、ただそれだけのことだろう。
ぼうふら愉し沖に汽船の永睡り
この句は〈「ぼうふら」を眺めるのが「愉し」い〉という人物の心情をそのまま書いているのだろう。近景と遠景で、ぼうふらの忙しない動きと汽船の全く動かない姿の対比が効いている。
ペンの金木立に遠く涼意みつ
文学の果の白靴並べ干す
月の道子の言葉掌に置くごとし
皹癒えても忘れずに手を隠す
姉の瞳の奥に冬空小鳥ゆく